人生で最も辛かった時期は、社会人5〜9年目くらいです。
難病である潰瘍性大腸炎の再発リスクを抱えながら激務を乗り越えた時でした。学部生時代に難病を発症した経験も大変でしたが、それ以上に厳しい状況だったと記憶しています。社会人7年目には、朝9時に出勤し、深夜2時に退勤する生活を数カ月間続けていました。この間、持病のことを周囲に打ち明けることなく、ただひたすら業務に向き合っていました。
その時携わっていたのは、マイナンバー制度の導入という前例のないプロジェクトでした。すべてが手探りの状況で、目の前のタスクを「処理」することに追われ、仕事の中身を「深める」ことに集中する余裕はほとんどありませんでした。「仏作って魂入れず」のような仕事だけは避けたいという信念を持っていましたが、制度の開始時期が決まっている中で、とにかく間に合わせることが最優先となり、自分の価値観さえ揺らぐほどのプレッシャーでした。
医師からは「ストレスをためないように」「規則正しい食事を心がけるように」「十分な睡眠を取るように」と忠告を受けていましたが、その言葉を守る余裕もなく、ヒヤヒヤしながら体調に気を配りつつ日々を過ごしていました。この時期は、自分の限界を試されるような毎日でしたが、それを乗り越えたことで得たものも多かったと思います。
その辛い時期を乗り越えられたきっかけの一つは、同じ持病を抱えながらも前向きに生きる人々の経験に触れたことでした。特に印象深かったのは、故・安倍晋三元首相とタレントの若槻千夏さんの二人です。
安倍元首相は第一次政権時に持病の悪化で退陣を余儀なくされましたが、第二次政権では「再チャレンジできる社会」の実現を掲げて復帰されました。地方講演か何かで「潰瘍性大腸炎を患っていても、総理大臣くらいはできます(皆さんも頑張ってください)」と、同じ患者にエールを送る記事を目にしました。スケールも立場も全く異なる自分ですが、同じ政策分野に携わる者として、その言葉に奮い立たされました。
また、若槻千夏さんも僕にとって大きな励みとなりました。同世代の活躍する存在としてテレビでよくお見かけしていましたが、ある時期からメディアでの露出が少なくなりました。調べてみると、彼女も僕と同じ持病を抱えていることを知りました。その後、デザインという新しい分野で活動され、僕たちが日常で使っているLINEスタンプの多くを手掛けていることを知ったのです。「与えられた場所で自分らしく咲く」という彼女の生き方は、今でも僕の心の支えになっています。
こうした方々の存在に触れることで、「自分もまだやれる」という勇気をもらい、前を向いて進むことができました。
僕が最も伝えたいのは、「与えられた環境の中で自分らしく咲くことの大切さ」です。著名な方々の経験から勇気をもらった僕ですが、所詮は一介の社会人。それでも、病気のことを周囲にうまく伝えて理解を得たり、本当に望んだステージではない場所でも、自分にできることを積み重ねることで、なんとか日々を乗り越えてきました。
その支えとなったのが、情報メディアを通じて触れた誰かの経験や言葉です。情報メディアには脆さや危険性もありますが、適切に発信され、受け取る側がうまく活用できれば、それは無限の可能性を秘めています。僕もその力に支えられてきた一人です。
誰もが自分の力で環境を選べるわけではありません。それでも、置かれた場所で自分なりの花を咲かせることは、誰にでもできることです。そして、その花は必ず誰かの目に留まり、心を動かすはずです。このメッセージが、同じように苦しみながらも日々を歩む方々にとって、ささやかな力になれば幸いです。
僕が目指したいのは、政策・研究・文化を繋ぐ架橋となるような取り組みを進めていくことです。それぞれが互いに補完し合い、どれかが優位に立つことなく、調和の中で前進していくことが理想です。政策や実務の現場で見えてくる課題や学びを学術的な新しい知見として昇華させることも重要ですし、逆に研究で得られた内容を社会に還元するシンクタンク的なアプローチも欠かせない視点だと思います。
さらに、そうした知見や取り組みが単に形に留まるのではなく、人々の心を動かし、納得されながら社会に浸透していくことが大切だと考えています。そのためには、文化的なアプローチや表現の力を活用することも必要です。これまで、私自身も仕事での苦労や知人の体験を題材にした脚本や小説を書いたことがあります。そういった創作活動は、情報メディアが持つ可能性を実感する貴重な機会でした。
これからも、情報メディアの力を信じ、現在のフィールドで自分にできる範囲で無理なく取り組んでいきたいと思います。それが、自分自身の信念を実現し、社会に小さくとも確かな変化を生み出す一歩になると信じています。