人生で最も辛かった時期は、10代から20代前半の頃です。

私は東京都世田谷区で生まれ、中学受験が盛んな地域で育ちました。IQテストでは150以上の数値が出ており、周囲からは筑駒や開成への進学を期待されていました。しかし、親の仕事の都合で北関東の県庁所在地に引っ越すことになります。そこで県立トップ校を目指して努力していた矢先、再び家庭の事情で田舎の郡部へ転居することになりました。

新しい地域では、偏差値55程度の高校が最難関校とされており、旧帝大や早慶といった大学進学は遠い夢のように感じられました。当時は90年代中盤で、インターネットも普及しておらず、携帯電話も一般的ではありませんでした。さらに、大学受験用の塾もない環境でした。家庭は両親が揃っていたものの、世帯年収は300万円台と厳しく、受験に適した環境が整わないまま浪人生活に突入しました。

しかし、浪人しても状況は変わらず、自宅で孤独に勉強する日々が続きました。五里霧中の状態でなんとか合格したのは、日東駒専クラスの大学と國學院大学文学部の2校でした。東京生まれでありながら、受験や進学に有利な環境を享受できなかった自分を嘆きつつ、失意のまま大学へ進学しました。

大学入学後も学歴コンプレックスは続きました。この経験が、慶應義塾大学に合格するまで通算27回にわたる受験への執念のような挑戦につながりました。この時期に、毎年どこかしらの大学を受験するという強い思いに突き動かされるようになったのです。