人生で最も辛かった時期は、小学校5年生から1回目の高校1年生にかけての約5年間です。
小学校3年生ごろから学級崩壊やいじめが始まり、不登校気味になりました。小学校6年生には完全に登校できなくなり、学校生活は断絶状態に。学級崩壊の最中では、一番前の席に座っていても先生の声がほとんど聞こえないほど教室が騒がしく、落ち着いて学ぶ環境は皆無でした。さらに、いじめも重なります。下校中にランドセルに唾を吐かれたり、掃除の時間にはクラスの女子全員から箒や雑巾を頭に押し付けられてほこりまみれにされるなど、耐えがたい日々が続きました。
中学校では、入学式から登校することができませんでした。2年生の秋、大切な家族を失ったことで、精神的な絶望感はさらに深まりました。この頃は無力感に苛まれ、家に引きこもってゲームばかりして過ごしていました。結局、中学校の授業を一度も受けないまま卒業。義務教育の仕組み上、形式的に卒業はできましたが、達成感や喜びは感じられませんでした。
高校は、内申点の影響を受けない昼間定時制高校に進学。しかし、わずか1か月半ほどで再び登校できなくなりました。その後、家庭の事情で引っ越すことになり、生活環境が大きく変わります。
この5年間は、孤立や精神的な苦しみを抱え続けた時期であり、人生の中でも特に辛い期間として心に残っています。
きっかけは、転居後に再入学した夜間定時制高校での出逢いと環境の変化でした。
1年遅れでスタートした夜間定時制高校は、以前在籍していた昼間定時制高校とは全く異なる雰囲気でした。昼間定時制の「制服あり・校則厳しめ・真面目」という環境とは対照的に、夜間定時制では「ピアスや金髪が自由」「仕事終わりに作業着で学校に来るクラスメート」「容姿も内面も多様な生徒」が集まる場所でした。この自由で個性的な雰囲気が、少しずつ心を軽くしてくれました。
その学校で出逢った一人の女性教師が、私の人生に大きな影響を与えてくれました。1年生と2年生で担任を務めていた国語の先生です。放課後や授業前に、学業から交友関係、家族の悩みまでさまざまな相談に乗ってもらいました。先生はいつも親身に話を聞いてくれて、心の拠り所のような存在でした。
さらに、大きな転機となったのは1年生の定期テストで思った以上に良い点数を取れたことです。この結果が、「学び直してみたい」「大学受験に挑戦したい」という気持ちを引き出してくれました。1年の夏頃には独学での大学受験を決意。しかし、そのスタート地点は中学1年生の参考書を開くことから始まるほど基礎的な学力からの再出発でした。道のりは決して簡単ではありませんでしたが、「自分で作ったブランクは自分で埋める」という思いが強く、塾や予備校には一度も通わないと決めました。実際、人生で一度も塾や予備校に通ったことはありません。
担任の先生は、この挑戦を一番近くで応援してくれる存在でした。そして、今でもその関係は続いています。月に一度電話で話すほどの仲で、母親と年齢が近いこともあり、話しやすく頼りにしています。この先生との出逢いと支えが、過去の辛い日々を乗り越え、未来を切り開く大きな力となりました。
私が誰かにアドバイスできる立場ではない気がしていますが、いま不登校生向けのオンライン学習塾の代表を務める中で感じることがあります。それは、「人生が好調なときには多くの人が寄ってくる一方で、不調なときには人が離れていく」ということです。
振り返ると、本当に大切だと思える存在は、どんな困難の中にあっても連絡をくれたり、相談に乗ってくれる人たちでした。ただ、そういった存在は決して多くありません。世の中には、地位や名誉だけを見て寄ってくる人も少なからずいます。だからこそ、困難や苦難の中で出逢い、信頼し合える人の存在は本当に貴重だと感じます。
苦しい時期を過ごしているときは、精神的にも心理的にも辛いことが多いと思います。しかし、その中でしか出逢えない人や、経験できない感情が確かにあるのも事実です。また、自身の辛い経験を通じて、他者を思いやる気持ちを育む機会にもなります。私自身、自分の過去を振り返る中で、それに気づかされることが多くありました。
これがアドバイスになるかどうかは分かりません。ただ、困難の中にいるからこそ見えるものや出逢える人を大切にしてほしい。そう感じています。そして、その出逢いが、きっといつか自分を支えてくれる力になるはずです。
「こまらん塾」の代表としては、少しでもこの企業が世の中に知られる存在になればと思っていますが、現時点ではあまり企業規模を大きくすることは考えていません。そのため、経営的な目先の利益にとらわれず、気長に運営していきたいと思っています。ビジネスマンとしては失格かもしれませんが(笑)、今のスタンスが自分らしいと感じています。
中・長期的な展望としては、「教育×心理」をテーマとした企業へと成長させたいという想いがあります。もともと私は教育よりも心理に関心が強い人間です。そのため、専門家の方々の力も借りながら、この構想を具体化していきたいと考えています。実現に向けた具体的なアイデアもありますが、それはまだ内緒にしておきます(笑)。
一方、「山本 遼」という1人の人間としての展望については、特にこうなりたいという明確なビジョンは持っていません。結婚や家族を持つことに興味がないわけではありませんが、そればかりは縁によるものだと思っています。
人生の最適解は1つではないと考えています。選んだ道を正解にできるかどうかは、自分の心の持ちようと努力次第だと思います。たぶん何年たっても、今と変わらずのんびりしたスタンスでいるのが私らしいのかな、と感じています。