2021年7月、フィジーで接種したコロナワクチンが体に合わず、それがきっかけで命の危機に直面しました。具体的には、心臓が締め付けられるような痛みと息苦しさに襲われました。何気なく送っていた日常が一変し、「明日も生きている」ということが当たり前ではないと初めて実感しました。さらに追い打ちをかけるように、フィジーの医療水準は日本ほど整っておらず、十分な治療を受けるのが難しい状況でした。このような状態で現地に留まるのは命の危険があると判断し、日本での医療を受けたいと思いました。しかし、当時はコロナ禍の影響でフィジーが鎖国状態となっており、自由に出国することは不可能でした。閉ざされた状況の中での不安と恐怖は想像を超えるものでした。そんな中、幸運にも、東京オリンピックの開催に伴い、フィジーのオリンピアンたちを日本に送迎する特別なフライトが用意されました。そのフライトに便乗する形で、奇跡的に日本への帰国が叶いました。しかし、その頃には私の体調はさらに悪化しており、立ち上がるだけでも困難な状態で、命をつなぐことだけを考えていました。

私は二児の父親であり、子どもたちはまだ幼かったので、絶対に回復しなければならないと自分に言い聞かせ、命がけで戦う日々が続きました。この時期が私の人生で最も辛い時期でした。